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著書:スポーツビジネス15兆円の到来
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第1章
スポーツビジネスは有望か?

──『日本再興戦略2016』で描かれる未来

恩師の言葉

私はその時、人生における重大な決断をしていた。2005年のことだ。それまで勤務していたトヨタ自動車を退職し、Jリーグを目指すサッカークラブであるV・ファーレン長崎を法人化するために故郷長崎に帰るということを告げた時、今は亡き恩師は私にこう言った。

「森君、きっとあなたはね、10年後、この決断が良かったと思うはずだよ。でもね、あなた個人としては儲からないよ」

恩師らしいぶっきらぼうな物言いで、無駄なことが削ぎ落とされた短いフレーズの中にいろんな意味が含まれていた。ひょっとしたら、日本が誇る優良企業であり、生涯年俸が数億円と言われている会社をあっさり辞めることに、また成功するかどうかなんてまったくわからない未知の世界に飛び込んでいくことに、「本当にいいの?」と私の気持ちを確かめてくれていたのかもしれない。しかし百戦錬磨の恩師のこと、その時の私の表情から見て決意が固く、目の前の男は自分の言葉ぐらいで考えを変えることはないだろうということも案外察していたのではないかと思う。当時私はそんなことよりも、その言葉に「背中を押してくれてありがたいな」と思う半面、「何で儲からないなんて決めつけるんだろう」、そして今よりも若くて勝ち気だったせいもあり、「それなら俺が儲かるようにしたらいいんでしょ」と心の奥底で誓ったものだった。そしてそれから10年が経ち、2015年にその言葉を振り返った時、恩師の言葉はそのほとんどが当たっていた。さすが広瀬一郎(*1)である。

しかし、その10年が過ぎた2016年頃から、この本を書いている2019年までの間に、恩師のいう「儲からないよ」の部分に少しずつ変化が見えてきた。スポーツビジネスに「儲かる可能性」が少しずつ広がってきたのだ。それは、決して私個人のことだけではない。少子高齢化に代表されるような日本全体を取り巻く社会状況や、それに伴うビジネス環境において、スポーツをビジネスとして永続的に行っていけるような環境が徐々に整ってきたのである。そして、この後の数年間を予想してみると、この現象はこれまでのように「徐々に」ではなく、さらに加速がついて広まっていくのではないかとさえ思われる。今スポーツを取り巻く世界に何が起こっているのか。それを解き明かしていくのが本章の役割である。ただし、ここで取り上げるスポーツとは、フィールドにおけるチームの勝ち負けやアスリートの記録にまつわるようなスポーツの競技面に関することではなく、あくまでスポーツに関連する「ビジネス」を中心としてとらえた時のスポーツの話であることを、ここで最初に断っておきたい。

(*1)筆者は、電通出身で「スポーツナビ」の初代社長である広瀬一郎氏が主宰していた「スポーツマネジメントスクール(SMS)」の卒業生である(2005年)。その後も2017年に氏が亡くなる直前まで、スポーツビジネスを学ぶ私的な勉強会「広瀬塾」において叱咤激励をいただいていた。

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スポーツビジネス15兆円時代の到来

森貴信著/平凡社新書

長らく競技者(選手)のものだった日本のスポーツは、新しいステージを迎え、今後より人びとの暮らしに密着したものになる。すでに起こっている事例を挙げつつ、人・モノ・カネの動きの実際と予想される未来を、スポーツビジネスの最前線で活躍する著者が語る。
そもそも、スポーツは仕事(の場)となりうるのかという疑問に発し、政府が提言する『日本再興戦略2016』のうち、国が〈スポーツの産業化〉を強く後押ししている実態を紹介、その意味をていねいに分析することで、今後、劇的な経済効果を促す異業種との交流や他産業の参入、さらにはスポーツイベントに連動する生活の場と習慣の変化など、スポーツというフィールドに秘められた大きな可能性に迫る。
――進学、就職・転職から共生の場の創出まで、新時代の社会のかたちが見えてくる。